は何もいるにして

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8月は大変なことばかりだったから、そろそろ、何かいいことがあってもいいのに、と思っている。
でも、その「何か」が何であるかは想像しないでおく。家を買って引っ越した先の隣人が殺人者だった……というのは、先に読んだ『クリーピー』という小説の設nuskin 香港定だが、そういう話は心のどこかで「あるかも」と思うからこそ怖い。世の中には悲惨な事件やニュースが溢れているし「悪い偶然」はどこにでも転がっていて、いつ巻き込まれるか分からないと恐れているところがある。



ところが、思いもかけない「いい偶然」がお話の中に出てくるとなると、とたんに「そーんな都合のいいことなんかないよ」と却下したくなるのは何故なんだろう。たとえば、家を買って引っ越した先の隣人が、行方も知れなかったこの世でただ一人の血縁者だった……なんていうことは、設定としてあまりに都合が良すぎると思ってしまいがちだ。



いい方も悪い方も、もしかしたらどちらも同じくらいの確率で「あり得る」(あるいは、あり得ない)のかもしれないのに、わたしは「いい偶然」の方には簡単に「あり得ないあり得ない」と半笑いして、目の前でひらひらと手を振nuskin 香港りたくなるのだ。夢がないなあ。



だけど、本来、わたしにとって「物語」は、特に子供の頃の読書体験は、そういう「いい偶然」や「思いもかけない良い展開」を楽しむためのものだったんだよなぁ……



……ということを、先日『ジェーン?エア』を読み終えてしみじみと思い出した。

そのくらい、「都合の良すぎる偶然」が多々ある話ではあったのだけど、それも含め、久しぶりに子どもの頃の読書を思い出すような、胸おどる物語だった。
---朝から窓を閉めたままエアコンをつけていた8月のある日、ベランダからカチカチ?カチカチ、と、ゆっくり回る歯車のような規則的な音が聞こえました。あまりに長くそれが続くので、外に出て音の出所を探してみると、サンパラソルの赤い花の下に、セミが一匹とまっているのでした。



そのうちに飛び立つだろうとそのままにしていましたが、それから何時間も経った午後にも、カチカチ?カチカチは聞こえていました。でも、もう一度窓寶寶食物過敏を開けて外を覗いても、同じ場所にセミはいません。近寄って探すと、もっと下の方の土の上、鉢の縁につかま、セミは黒いふたつの目を覗かせていました。



そこで死なれても困るんだよね……



素手で掴む勇気もないので、部屋から持ってきたティッシュを2枚ふんわりと被せ、その上からそっとセミを包み上げました。途端に身じろぎするのではないかと構えていたのですが、手の中のセミはじっとしたまま空気のように軽く、まるでもう、そこにかのようでした。それでも、ベランダの外に放ると、ジジジッと音を立てて飛び立ち、すぐに視界から消えていきました。
いいえ、ただ、落ちて行っただけかもしれません。
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by linkh3 | 2016-11-01 11:52 | 美文分享